昔、小野小町が眼病を患った折に山の中の泉の水で目を洗ったところ眼病が治ったと言われる伝説の泉が近くに存在する東京都町田市の小野路町を歩いてみました。小野路町は街だけでなく、前後の旧鎌倉街道の、昔の雰囲気をよく残している場所や自然保全地域のため豊かな里山の自然に恵まれているため、何度も訪れている地域です。今回は街を中心にまとめてみました。
自然が残されていることもあり、新緑の頃は緑が映えます。特に竹の葉が目を引きます。小野路には往時は宿があり、賑わっていたとのことです。パッとみた限りでは少数の蔵のような建物を除いて家屋や街並みにその面影を顕著に見出すことは難しく感じました。近くには幕末に新撰組の土方歳三が訪れたと言う小島家があり現在は資料館となっているようです。ですので蔵のような建物たちは江戸時代のものなのかもしれないですね。
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斜面に植っている桑の木は養蚕に利用しているのでしょうか。斜面の上の部分には旧鎌倉街道がほぼ昔のままの状態で残っており、多摩市の乞田に通じています。
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街の外れまでやってきました。この右側は車道になっていて、昼間は結構な数の車が通り過ぎて賑やかな場所です。しかし傍に目を遣るとまた違ったものが見えてくるような気がします。
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街の中は車道が通っているため、排気音で賑やかなのですが、山の中は一転して自然が残っています。関谷の切り通しは土の壁と木の根に心惹かれます。
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宿場へと下っていく道の脇の、小さな鳥居の根元に花が静かに咲いていました。
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季節と時間が大きく変わって冬の晩の宿場跡の街並みです。
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あまり夜景撮影に向いているとは言い難いフィルム中判カメラ(二眼レフ、6×6判)のローライコード4での撮影。冬の様子を写してみました。かつて寒い宿場の夜、防人たちはどのような夢を見ていたのでしょうか。
(前略)静かな小野路の古道を辿ると、遠い古代に朝廷と国府の間を往来した役人たちや防人、そして渡来人の集団移住者たちなどの旅の姿が目に浮かぶような気がする。防人は、大化二年(六四六)から始まり、延暦十四年(七九五)(後略)の東国防人制が廃されるまで続いた。特に天平二年(七三〇)からは、防人をもっぱら東国一三ヶ国の兵士に課するようになり、そのうち東海道に属していた下総・上総・安房・常陸・武蔵の五ヶ国の防人は、この官道を通ったことになる。(後略)
「旧鎌倉街道探索の旅I 上道・山ノ道編」(芳賀善次郎著・さきたま出版社)
今日のお供のカメラ
カメラ: Canon EOS60D、Rolleicord 4
レンズ: Canon EF-S18-55mm f3.5-5.6 IS II